少しの間に起こったできごと。

親父が亡くなりました。


去年の11月ごろの市の検診の結果再検査となって、病院など嫌いな父は色々と理由をつけて先延ばしにしていて今年の1月20日ごろに精密検査。結果は胃癌でリンパや骨にも転移しており、治すための治療はできない状態。何もしなければ1ヶ月ほど、抗癌剤が効けば少しは時間が長くなるということでした。


父は胃癌で骨転移しているということは告知されていましたが、(4〜5月頃は)抗癌剤治療の合間に母と車で出かけたり、ゴルフで18ホール回ってきたこともあったそうです。
最初の方は、あまり帰省すると父に"深刻な状態だと伝わるので"ということで(10年くらい帰らなかったし...)頻繁には顔を出しませんでしたが、ここ2〜3ヶ月は頻繁に田舎と関東を往復、しかし日に日に激変していきました。


医者と患者
今回父を診ていただいたお医者さんと父(と母)は、コミュニケショーンのすれ違いが多々あったようです。
私は両側の話が非常によくわかりました。(私は子供の頃から病院に親しんでいましたので)いろいろと両者に説明しなければなりませんでした。
ドラマのようなスパードクターは、そうやすやすとは存在しませんし、例えめぐり逢うことができても神様ではありません。治せない病は存在するのです。
TVやメディアで報道されていることはホンの一握りの氷山の一角です。当事者ともなれば、いろんな決断が次々と迫ってくるのです。なかなかそんな状況にあって冷静な判断ができるものではありません。しかし、今回めぐり逢ったお医者さんも治療に関しては非常に精密な状態コントロールだったようです。こんなにも時間をいただけたのですから。感謝しております。


自宅にベットを借りて自宅で療養していた時もあり、
「最後は自宅で迎えられるよう準備されたら?」というお医者さんもいらっしゃいましたが、フラフラな状態でもトイレに自分で行こうとするなどの危険や、吐血や下血などした時に(できる事は何も無いのだそうだけれども)冷静に救急車を呼んだりして、20-30分待っていたりすることができるのか?と問われると、それには本人も家族もそうとうの覚悟と"付っきりで側でみていられる体制"が必要で、普段は母一人になるということから"自宅でその時まで"という選択ではなく、病院でという選択となりました。
結果的には吐血や下血はありませんでしたが、この選択に後悔はなく、むしろ良かったと思います。
(しかし母はずっと父の病室(個室)に簡易ベットを借りて泊り込みで看病しており、全てが母に集中して肉体的-精神的にも負担が多かった。)


介護認定(権利をもらうには回りくどい認定が必要なようです。)
健康な状態ではそんな認定などとは全く無関係でしたが、やはり急速に衰える肉体に様々なことが必要となってきます。病気の進行とともに再認定というようなことになるのですが、全く追いつきませんでした。
何とかしてほしいものです。


先月の終わりごろから急速でした。
抗癌剤治療は正常な細胞も壊します。7月の半ば過ぎくらいには、骨に転移した癌からくると思われる炎症がひどく、精密なコントロールを必要とする抗癌剤を使用することはできなくなりました。
(この頃から(血液検査の結果からも)何時急変してもおかしくないと言われていました。)


胃癌のせいで食事が入っていかない。→必要なエネルギーが摂取できない。(血管に入れられるのは、せいぜい脱水症状を抑えるくらいの水分とほんのわずかな糖分)急速に痩せ細る体。
腫瘍熱というのだそうだが、癌細胞の増殖による熱。
痛みを抑えるための麻薬パッチ(シール)、これによりふらつくのもあって(最後の方はかなりの面積のシールで言葉などは出ず、朦朧としている状態も増えました。)
しかし、本人の思考の方はその体の変化に追いつかず...日増しに少しずつ自分でできることが減っていくことにイライラして、点滴を拒否し、体温を測ることや血圧を測ることをも拒否...看護婦さんには辛い役目ばかりで申し訳ないのに、全てにあたる親父に怒ったこともありました。
最後の数日は、壮絶でした。見ているのが辛くて、最後の時は楽になれて良かったとホッとしました。


特殊な時期に亡くなってしまったようです。
亡くなったのが12日の終わりごろでした。
13日の深夜2:00ごろに病院から家に戻り、葬儀屋さんの話を聞くと...
近隣のいくつかの火葬場が15日休み(お盆はお坊さんが忙しく葬儀がおこなえない→休みとなるようです。)で、14日に通夜−15日に葬儀とすると少し離れた火葬場になり、混み合うのでスケジュールも確認しないとと...しかもお盆なのでお坊さんのスケジュールも厳しいとのこと。
基本的に14日に通夜15日に葬儀ということにして、朝お坊さんに枕経の依頼とスケジュールを確認することにして朝まで休むことに。
朝7:00過ぎにお坊さんに確認すると...15日はお盆ということもあって都合がつかないとのことでした。
数分話し合い〜前倒しで13日に通夜(当日です。!!)、14日に葬儀と決めました。
それから全てが追い立てられるように...。
これだけ急に、しかもお盆という時でしたが、非常にたくさんの方に来ていただきビックリしました。(こんなに多くの人たちが、父や母を支えていただいているんだと。感謝!感謝!でした。)


そんなことがひと段落すると....
それでもすぐに母の生活にいろんな支障がすぐに出てくるので、イロイロと役所への届出やら銀行口座の整理やら電気、ガス、水道、etc...
おいらと妹の実印を作る事からバタバタと...
(直近でやらないといけないことは、できるだけ手をつけてきました。疲れました。)


しかし、妹の子供(甥っ子、姪っ子(2歳とちょっとの双子))にはホント救われました。
こんなことばかりで世の中は回っていないと、他の時間(普通の人の時間)に引っ張っていってくれました。(多少振り回され気味にもなりましたが...)


そんなことが、この短い間に起きました。(23日にこれを書きました。)